小学校教員の独り言

思ったことをつらつらと

話し合える職場にするために

 年度末になるとどこの学校でも、学校経営についての反省が行われるのではないだろうか。教員というのは、大卒以上、学部も教育学部、小中高と学校がそんなに嫌いでなくて、似たような時期に結婚してくそ真面目というようなイメージがあり、社会経験も似たような感じという思い込みが私にもあり、たまに意見が食い違うとびっくりするものである。

 

 今日も学校経営の反省会で思わぬところで火花がばちばち、子供の方がよっぽど空気を読んで、相手を傷つけたり、貶めたりしないように気を使っているなと思うのである。しかし、確かに空気を読んで優しい言葉を使っていては、伝わらないということも確かにあるわけで、そこのところの塩梅が難しい。若い人たちには尊宅のない意見を言ってほしいと思う反面、確かに年上の先生がばちばちやってると気まずいよな・・・とも思う。

 

 人々は建設的な意見をどうやって出してきたのだろうか。学級会や児童会の話し合いなど、散々偉そうに指導しているものの、自由に意見を出し合うというのは難しいと実感する。

 

今日は、建設的な話し合いに向けてまずは大人ができることについて考えたい。

話し合いといってもざっくり分けるといろいろな種類がある。

一般的に話し合いと言ったら➊討論、❷議決、❸対話、もし加えるとしたら会話が入るだろう。

 

➊討論というのは、賛成派と反対派に分かれて最終的には審判が判定を下すので、勝敗がつく。

 

❷議決は、全員が賛成・反対派・審判であり、最終的には多数決で決着をつける。多くの職員会はこの形式で行っているのではないだろうか。

 

❸対話は、お互いの話を聞き、分かり合うということに主眼が置かれるため、決着をつける必要はない。

 

多分、多くの学校で行われている職員会は、❷と❸を行ったり来たりしていているかんじではないだろうか。討論のように意見を戦わせてみるのも面白いけれど、何かを決定したいのであるから、審判が管理職であったり、主幹教諭であったりすると「それは、命令ですか・・・」となって、若い職員たちには不満がたまる一方だろう。

 

だから、とりあえず自分の意見を出し合い、全員で決定するような❷の方式がふさわしいのである。ただし、この場合のデメリットというのがいくつかあって、意見が出ない、声の大きい人だけの意見が通りやすい、若手は経験不足から話し合いの土台に乗れていないなど意見が出そろわないために十分な議論が行われないという懸念である。そうならないために十分に意見を出し合ってから議題に入ればいいのだが、大体新しい意見やいろんなひらめきが生まれると話したくなるし、「たしかにそれもそうだよなぁ」となって話し合いがまとまらないのである。

 

話題は広がっていくものの、取集がつかないというよくあるパターンである。

こうなってしまう理由としては、いくつか理由がある。

①話し合いの作法が決まっていない・もしくは共有されていない。

 ・思いついたまま話さない

 ・反論する場合は、代案を出し、感情的にならない

 ・終わりの時間を明確にして

 ・主催者側が今日はここまで話し合いたいという意思を明確にしていないなど

②決着のつけ方について見通しが持てていない。

③全員参加のための方法が考えられていない。

 

①と③について、大切なのは若者が参加しやすい話し合いの方法が考えられているかどうかである。

教員は、自分の意見が持てるように児童に対して懇切丁寧に手立てを考えているのであるが、大人が相手になると途端に冷たくなる。当たり前だけれど、新卒の先生と10年以上その道で働いている先生では、考え方も説得力のある話し方のコツもスキルが全く違うのである。そうした差は積極的に埋めていこうという意思がなければ埋まらない。

 

②については、話し合いを軌道修正することができるため、全員で共有しておく必要がある。どんどん話し合えば、豊かな意見が出てくるだろうが、限られた時間の中で成果を上げるためには、今日の落としどころを明示しておく必要がある。だから、主催者側は、「多数決でも決めます。」なのか「時間が来たら次回にします。」なのか「担当で話し合うために持ち帰るので意見が欲しいです」なのかをはっきりさせることで、話し合う人たちの意見の出し方も変わってくる。

 

当たり前のように思えるけど、参加する人のことを考えた話し合いを行うことで会議の時間は短くなるし、深くなる。煩わしいという会議も、コンセンサスを作っていくためには必要な作業である。全員が参加し、自分の思いが入った決定というのは、何年か前に作られたマニュアルに比べてずっと血の通ったものになる。

 

きっと分厚い職員会議の資料も、あの時頑張って話し合った結果・・・と思えるのではないだろうか。あなたの学校はどうでしょう。全員が参加するということが強制ではなく、参加してよかった思えるものになっているだろうか。